理系/文系をめぐる動向と国立大学の存在意義

今岡: 伊東さんはまさに理学部に来られたわけですが、まわりの反応はどうでしたか。

伊東:親が「女の子が理系に行っても……」と言うおたくもあるようですが、うちの両親はそういうことを全然言わなかったのです。
また、私は女子高だったのですが、理系がわりと得意な生徒には、学校のほうが理系への進学を勧めていました。ですから理系に行くことへの心理的なハードルは高くありませんでした。そして、実際に奈良女子大の理学部に入学して本当によかったと感じています。

今岡:なるほどそうだったんですね。それは恵まれた環境だったと思います。というのも、今、ドクターコースの物理とか数学をやっている学生に聞くと、ハードルがいちばん高かったのは家族だったと。「えっ、女の子でドクターまで行ってどうするの」というのをまず説得しないとなかなか行けないようですね。でもこれを単に家族そのものがハードルだと考えてはならないでしょう。家族にそう思わせるような社会通念があるところが問題なのです。

 
  伊東:そういう通念がある以上、国立大学で女子大の理系を確保しておくというのはやはり重要なことだと思います。

  今岡:日本は諸外国と比べて、私はあまり諸外国と比べるのは好きではないのですけれど、それでも異様ともいえるほどに理系女性のパーセントが低いのです。アメリカは日本よりずっと多いのに、さらに多くしないと社会がもたないという危機感をもっています。日本でも、政策的な取組は以前より進みつつありますが、社会進出も含めて、理系はもっともっと多くなってほしいですね。

  伊東:はい、そのとおりだと思います。ただその一方で、今の文科省の、理工系にシフトして、文系なんかやらなくていいというような考え方、あれは本当によくないと思いますね。

  今岡:本当によくない。
その後、文科省の側は、「あれは皆さん誤解されていて、いらないというのではないのです」ということを言っています。「社会がこれだけ苦しくなって、みんなが一生懸命やろうとしているのに、人文社会系だからといって何も変えないというのはないでしょうということ」を言いたかっただけだとか……。

  伊東:そうなんですか。

  今岡:とにかく、文系をなくしてしまえと解釈されるような話が出ただけでも乱暴なことです。あれでみんなに火がついて、文系は重要なんだという声が全国から上がったのは大切だと思います。どう考えてみても、人間が生きていくためには文系と理系の両方が必要なのです。だって理系だけで生きていけるはずがないのですから。
 
  伊東:まさにそうです。そこを国立大学が率先してモデルを示してほしいですね。国立大なので社会に役に立つのはもちろん重要ですけれど、即、役に立つという実学ではないものを担っていただきたいし、そういう人材も育ててほしい。さらに、理系でも地道な基礎科学はお金にはなりませんが、それを国立大学がやってくれないと、どこがやるのだと思います。それはぜひとも。

少人数教育の力と女子大の魅力
  今岡:伊東さんご自身のお話にもどりますが、先ほど「入学してよかった」とおっしゃってくださいました。それはどんな部分ですか。

  伊東:私が入学したときの生物学科は、植物学と動物学に分かれていた時代です。入学時点でどちらかを選ぶというかたちでした。私は植物が好きだったので、植物学を専攻しました。園芸的な植物ではなくて、生態学とか細胞学とか、生物学として植物を勉強したかったのです。

  今岡:そうだったんですね。


  伊東:私が入ったこの植物学専攻というのが、同期生が8人。授業で出欠をとる必要がありませんでした(笑)。まさに少人数教育です。すごく恵まれている。これも国立大学ならではですね。私立大学でクラスに8人しかいないなんて、あり得ないですから。

今岡 :女子大だということについては、いかがでしたか。

伊東:異性の目を気にせず勉強できて、一個の人間としての生き方を考えられる利点があるのではないかと思います。共学だと何かと気が散ることが多くて、ある意味うっとうしい(笑)。今どきは勉強したくて大学に来る人ばかりではないから、そうとも言い切れない部分があるのかもしれません。勉強しなくても大学の4年間というのはそれなりに有意義に過ごすことはできるので、それがいけないとは言えないでしょう。でも、本当にいろいろな意味で勉強したいと思ったら、奈良で勉強するというのは、しかも女子大で勉強するというのは、すごくいい場所だと思うのです。

「文理両道」
  今岡:理系を専攻された伊東さんが、日本語論を展開した『キラキラネームの大研究』を今回出版されました。理系と文系がお一人の中で融合している。最近耳にすることがある言葉を使うなら、まさに「文理両道」という感じです。どんな風につながっているのですか。

  伊東:生物学を4年間やってみてようやくわかったのは、わたしは結局、生物とは何ぞやみたいなことに興味があったのだ、ということでした。だから専門的にやっていくのに興味があったわけではなくて、どちらかというとそれって哲学ですよね。「とは何ぞや」ですから。
 本質的なものに関心を寄せ始めると、文系・理系を区別することの意味もなくなるような境地があって、それが私のベースにあるのではないかと思います。

  今岡:ほうほう、なるほど。

  伊東:これは私の独断ではありません。新制大学としての発足時に本学に着任なさった世界的数学者、岡潔先生もつぎのようにおっしゃっています。数学は論理的なものだと思われているけれど、そのベースの情緒がなければ学問として成り立たない、と。まさにそういうことなのだと思います。

  今岡:たしかに文理というのは、どちらもとことん探求するという点は似ています。ただ、文系と理系では山の登り方が少し違うというか、アプローチの仕方が違うのかなと思います。理系は積み上げ型で着実に前に進もうとしますが、文系は時々そもそも論や古典に立ち戻って、ちゃぶ台返しがありうる(笑)。
あ、それで伊東さんは、卒業後は奈良新聞に入られたと聞きましたが。

  伊東:はい、そのことも「文」の世界を深く知るよい機会でした。文化面をやらせていただいて、とても勉強になりました。
職人さんを取材したり、文化財の研究をなさっている方を取材したり、奈良の文化を受け継いでいらっしゃる方たちに直接会うことができたので、それはすごく大きかったと思います。宮大工さんとか、墨や茶筅など伝統工芸にたずさわっている方とか、能面をつくっている方とか、日本画の上村松篁先生・淳之先生とか、奈良にはいろいろな先生方がいらっしゃいますから。

 
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